裏切りの日

ふと手帳をめくると6月2日は
『裏切りの日』と記載されてあった。

明智光秀が織田信長を裏切った
“本能寺の変”がその日にあたるらしい。


歴史上では光秀が主君である信長を裏切った
悪役的な存在になっている。


しかし一方では、
光秀が信長に謀反を起こしたのは、
信長から屈辱的な仕打ちを受けたり、
信長のせいで母親を殺されたりなどが理由だという
光秀を擁護するようなことも多く書かれてる。


真実はわからない。


歴史という言葉を辞書で引くと、

“人間社会が経てきた変遷・発展の経過。また、その記録”

と書いてある。


しかし、歴史のほとんどが、経過、記録に主張、感情のようなものが
プラスされているのではないかと思う。


近代史でさえ、様々な主張があるため不透明なものが多い。


そう考えると、歴史=真実とは言い難い。


光秀は知将として有名であり、家臣、民を大事にする
いわゆる“良い殿様”だと記されいる場合が多い。


謀反を起こした“裏切り者”であり、
“良い殿様”であるのだ。

1人の人間をとっても色々な見方があるものだ。


我々が生きている現代でも
“裏切り”だと言われる行為が多々ある。


美容業界も“裏切り”が多い業界だと言われる。


家臣が主君の意に反して行動を起こすことを裏切りと呼ぶなら、
それは裏切りなのかもしれない。


しかし、主君は本当に家臣を大事に扱っていたのか?


家臣のために死ねる位の愛情を持って接したのか?


家臣を手厚く扱っていたか?



そう考えると、
一方的に謀反を起こした家臣を裏切り者と決め付けるのは、
違うような気がする。


主君を信じ、命懸けで尽くしてきた家臣に対して
それを当然のごとく振る舞ったり、感謝の意を示さなければ、
逆に家臣からすれば、主君に裏切りられた思うのかもしれない。



光秀がどんな想いで、信長を裏切ったのか?

信長がどんな想いで、本能寺で最期を遂げたのか?


これは誰にも分からない・・・


事実は、光秀が主君である信長を
本能寺で殺したということだけだ。
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by sasaki-ryosuke | 2009-06-04 12:16 | ビューティーナビ

アメリカ発、世界的企業が導入している「ドリームマネジメント」のセッションを日本で初めて行った佐々木亮輔のブログです。


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