2009年 09月 10日
フォーキャスト渡邊社長
昨日はフォーキャストの
渡邊愛子社長とお会いしました。
フォーキャストさんは
フランスの世界的ブランドサロン
『ジャック・デサンジュ』を日本でFC展開している会社です。
愛子社長は僕の元上司にあたる方です。
とは言っても
当時はそんな関わりはなかったのですが・・
当時、デサンジュを運営していたのは
百貨店のパルコ系列の会社でしたが、
僕はその会社に在籍していました。
結局、
その会社は上司とケンカをして
1年ほどで辞めてしまったのですが、
美容業界に携わったのは
その会社がきっかけだったのです。
愛子社長は僕が辞める時も
とても気にかけてくれました。
僕の勝手な理由で辞めたのに
本当に有難いことです。
会社を辞めた約7年後、
僕がビューティーナビの責任者になった時に
全国のジャックデサンジュ約50店舗ほど掲載をして頂きました。
厳しいご指摘も多々ありますが、
とても温かい方です。
自分が年齢を重ね経験を重ねていくうちに
見えなかったものが見えてくることがあります。
当時、ジャックデサンジュの本部にいた時は
屈辱感ばかりで人生で最悪の時でした。
何もかも自信をなくしてしまい
やること全てに恐怖を感じていました。
上司からはイジメに近いものを受け
(もちろん愛子さん以外の上司です)
責任を全て擦り付けられ、
最後には爆発して
ケンカして会社を辞めてしまったのです。
当時は家族もいたので
年末ではありましたが、辞めた翌日から
宅急便のアルバイトを早朝から深夜まで行い、
年が明けたら葬儀屋のアルバイトをしながら、
仕事探しをしました。
葬儀屋のアルバイトでは
いきなり死体を運んだりして、
ショッキングなこともありました。
毎日違う現場に行き、
二十歳の女の子に罵声を浴びせられながら
奴隷のように働いたこともありました。
30歳に近い家庭を持つ男が
そんな感じだったのです。
そんな生活を送ってるのを
当時は全て他人の責任にしていました。
『あいつのせいでこうなったんだ!』
憎しみしかなかったような気がします。
全て自分の選択なのに・・
しかし今になって、
当時の経験がとても良かったと思えるのです。
あの時の辛さが、
僕を強くしてくれたと本心から思えるのです。
奴隷のように扱われた経験があったから
誰に対しても敬う気持ちを持ちながら
接しようと心掛けていますし、
上司にイジメに近い扱いを受け
責任を擦り付けられた経験があったから、
メンバーに対して愛情を持って接し、
何かあったら自分が盾になろうと思うのです。
辛さを知ってる人間は、
絶対に同じ辛さを与えてはいけないと思うのです。
(まだまだ未熟者には変わりありませんが・・)
正直言うと、
2、3年前までは当時ケンカした上司を思い出すと
瞬時に沸点に達する程の怒りを常に持っていました。
そのネガティブなパワーを
モチベーションに変えるようなこともしていました。
奴を見返してやる!と・・
まるで危険分子をエネルギーに変える
原子力発電所のようなものです。
しかし、
最近になって怒りは完全なくなり、
あの人のお陰で今の自分があると
半分だけ思えるようになってきました。
あと半分思うことが出来ないのは
自分の未熟さなだとは分かっていますが
本心なので仕方がないことです。。
これから成長していきたいと思います。
そんな未熟者の僕と
辞めた後もお付き合いして頂いてる愛子社長は
恩師であることは間違いありません。
僕が飛び出すように辞めた後
子供がいるのに大丈夫?
他の部署で働かせることは出来ない?
と心配してくれた愛子社長の温かさを
僕は決して忘れません。
感謝、感謝です。
そして
いつか
ケンカした上司に対しても、
心の底から感謝出来るようになりたいと思います。
渡邊愛子社長とお会いしました。
フォーキャストさんは
フランスの世界的ブランドサロン
『ジャック・デサンジュ』を日本でFC展開している会社です。
愛子社長は僕の元上司にあたる方です。
とは言っても
当時はそんな関わりはなかったのですが・・
当時、デサンジュを運営していたのは
百貨店のパルコ系列の会社でしたが、
僕はその会社に在籍していました。
結局、
その会社は上司とケンカをして
1年ほどで辞めてしまったのですが、
美容業界に携わったのは
その会社がきっかけだったのです。
愛子社長は僕が辞める時も
とても気にかけてくれました。
僕の勝手な理由で辞めたのに
本当に有難いことです。
会社を辞めた約7年後、
僕がビューティーナビの責任者になった時に
全国のジャックデサンジュ約50店舗ほど掲載をして頂きました。
厳しいご指摘も多々ありますが、
とても温かい方です。
自分が年齢を重ね経験を重ねていくうちに
見えなかったものが見えてくることがあります。
当時、ジャックデサンジュの本部にいた時は
屈辱感ばかりで人生で最悪の時でした。
何もかも自信をなくしてしまい
やること全てに恐怖を感じていました。
上司からはイジメに近いものを受け
(もちろん愛子さん以外の上司です)
責任を全て擦り付けられ、
最後には爆発して
ケンカして会社を辞めてしまったのです。
当時は家族もいたので
年末ではありましたが、辞めた翌日から
宅急便のアルバイトを早朝から深夜まで行い、
年が明けたら葬儀屋のアルバイトをしながら、
仕事探しをしました。
葬儀屋のアルバイトでは
いきなり死体を運んだりして、
ショッキングなこともありました。
毎日違う現場に行き、
二十歳の女の子に罵声を浴びせられながら
奴隷のように働いたこともありました。
30歳に近い家庭を持つ男が
そんな感じだったのです。
そんな生活を送ってるのを
当時は全て他人の責任にしていました。
『あいつのせいでこうなったんだ!』
憎しみしかなかったような気がします。
全て自分の選択なのに・・
しかし今になって、
当時の経験がとても良かったと思えるのです。
あの時の辛さが、
僕を強くしてくれたと本心から思えるのです。
奴隷のように扱われた経験があったから
誰に対しても敬う気持ちを持ちながら
接しようと心掛けていますし、
上司にイジメに近い扱いを受け
責任を擦り付けられた経験があったから、
メンバーに対して愛情を持って接し、
何かあったら自分が盾になろうと思うのです。
辛さを知ってる人間は、
絶対に同じ辛さを与えてはいけないと思うのです。
(まだまだ未熟者には変わりありませんが・・)
正直言うと、
2、3年前までは当時ケンカした上司を思い出すと
瞬時に沸点に達する程の怒りを常に持っていました。
そのネガティブなパワーを
モチベーションに変えるようなこともしていました。
奴を見返してやる!と・・
まるで危険分子をエネルギーに変える
原子力発電所のようなものです。
しかし、
最近になって怒りは完全なくなり、
あの人のお陰で今の自分があると
半分だけ思えるようになってきました。
あと半分思うことが出来ないのは
自分の未熟さなだとは分かっていますが
本心なので仕方がないことです。。
これから成長していきたいと思います。
そんな未熟者の僕と
辞めた後もお付き合いして頂いてる愛子社長は
恩師であることは間違いありません。
僕が飛び出すように辞めた後
子供がいるのに大丈夫?
他の部署で働かせることは出来ない?
と心配してくれた愛子社長の温かさを
僕は決して忘れません。
感謝、感謝です。
そして
いつか
ケンカした上司に対しても、
心の底から感謝出来るようになりたいと思います。
by sasaki-ryosuke
| 2009-09-10 11:53
| お世話になっている方