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キャパシティー

キャパシティーという言葉を辞書で調べると

“収容能力、容量、物事を受け入れる能力、受容力”

なんていうことが書いてあるが、
その上限は誰が決めているのだろうか?


そう、自分が決めているのだ。


ケースによっては、
人それぞれに“キャパシティー”はあるのだと思う。


今の僕が100M10秒以内で走れと言われても無理だし、
200Kgのベンチプレスを上げろと言われても無理だ。
(無理という言葉はあまり使いたくはないが…)


しかし、キャパシティーを可能性と置き換えれば、
上限を決めてしまうことに抵抗を感じる。

100Mを10秒以内で走りたいと思うことはありだし、
200Kgのベンチプレスを上げたいと思うこともありだ。
(僕はどちらも望まないが・・・)


可能性を感じて、
それを望むのは自分の勝手なのだ。


よく“人の可能性は無限大だ”みたいなことが、
自己啓発の本など書いてあるが、僕もそう思う。


現実的に考えると、
人は新幹線より早く走ることは出来ないし、
空を飛んだり、水中で暮らすことも出来ない。
(1万年後には進化しているかもしれないが、
その時は人の形はしてないだろう…)


でも、そんなことを考えたり望むことは出来る。


今、人がつくり出したものは、
全て、そんな“願望”から生まれてきたものだ。


願望が可能性となり、
可能性を現実化させるために行動に移っていく。


この思考プロセスの中に
“キャパシティー”という言葉は見当たらない。


キャパシティーは、自分で決めた見えない枠。
又は、自分の可能性を信じることが出来ない
自分に対しての都合の良い言い訳。


よく考えると、
上限を決めて生きていくことの方が窮屈だ。


鷹のキャパシティーが地上10Mということを
想像してみればいい。

とても窮屈に思えてくるはずだ。


キャパシティーは
自分の心の中の上限だと考えればいい。


心の中のもの・・・


例えば、愛情。


愛情にキャパシティーはある?
(どれだけ愛してる?と聞く人はいるが…)


例えば、夢。


夢にキャパシティーは?


自分の心の中にあるものは、
キャパシティーなんかないのだ。


あったとしたら、
それは自分で勝手に決めているもの。


しかし、
一つだけ避けなれない、
絶対的なキャパシティーがある。


それは“命”


命には絶対キャパシティーはあるし、
そのキャパシティーを、
常に意識しなければいけないと思う。


死を避けることは絶対に出来ない。


命のキャパシティーを意識すれば、
他のキャパシティーを感じることなど、
バカバカしくなってくる。


人は絶対に死ぬのである。


だったら、自分の可能性を信じて、
キャパシティーなど設けないで生きていた方がいい。


これは、自分自身に対しても、
訴えたいこと。


最近、無意識のうちにキャパシティーを
決めてしまうことが多い。


それではいけない。



キャパシティーは決めない。



そう自分自身に言い聞かせよう。
by sasaki-ryosuke | 2010-04-08 20:02 | 想い・考え

アメリカ発、世界的企業が導入している「ドリームマネジメント」のセッションを日本で初めて行った佐々木亮輔のブログです。


by sasaki-ryosuke
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